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「バラマキ批判」は経済を破綻に追い込む

このブログのテーマ→ 「増税が日本を破壊する」

経済コラムマガジン 08/9/8(540号) 『またも総裁選』 より

「バラマキ」批難
(略)

総裁選に出馬を想定されている政治家達の発言が色々と解説されている。筆者には、この中で気になる言葉遣いや表現がいくつかある。その一つが「バラマキ」批難である。財政支出を伴う景気対策を「バラマキ」と表現している。明らかに悪意を持った言い方である。

先月29日に与党は総合経済対策を取りまとめた。1.8兆円の財政支出(真水)を伴うものである。しかし財政支出(真水)に比べ、事業規模は11.5兆円と異常に大きくなっている。これは中小企業向け融資の信用保証が含まれているからである。景気対策としての中小企業向け融資額を9.1兆円用意しており、この貸倒想定額が0.4兆円である。つまりたった0.4兆円の財政支出(真水)で9.1兆円もの事業規模になるのである。

まさに水膨れの総合経済対策である。また定額減税が盛込まれたが、規模と財源は未定である。それにしても500兆円の日本のGDPを考えると、1.8兆円の財政支出(真水)は金額的に微々たるものである。「ないよりまし」という規模であり、実際、総合経済対策の公表に株式市場もほとんど反応していない。

米国は今回のサブプライム問題による経済低迷を回避するために15兆円の減税を実施した。これも一種のバラマキである。ところが米国内では対策が小さいという意見が強い(ポール・グルーグマン教授など)。また日本よりずっと経済規模の小さいスペインでも、最近、6兆円の景気対策が決定された。

ところが日本ではたった1.8兆円の日本の総合経済対策が、またも「バラマキ」だと多くのマスコミや三流エコノミストから批難されているのである。

日本では財政支出による景気対策を、マスコミやメディアは「バラマキ」と悪いイメージの烙印を押す。極端な場合「バラマキ」が財政赤字の要因になるだけでなく、経済成長の阻害要因にもなっていると主張されている。これはまさに「虚言・妄言」の類である。ところがマスコミの批難を恐れる政治家は「これはバラマキではない」と必死に言い訳をしている。このような状況にある日本では当分まともな景気対策は無理である。

財政政策による景気対策が効果があるかどうかは、客観的に乗数効果の大きさによる。日本は消費性向が他の国比べ小さいため、乗数値も幾分小さいと見られる。しかし日本の乗数値は問題になるほど小さくはない。つまり米国やスペインで財政支出(いわゆるバラマキ)による景気対策が効果があるのなら、日本でもほぼ同程度の効果はある。


ただし同じ財政負担による景気対策でも、公共投資のような財政支出と減税では乗数値がかなり異なる。明らかに公共投資の方が減税より効果は大きい。ずっと本誌は同じ財政負担なら減税よりも公共投資を大きくすることを主張してきた。

ところが橋本政権のあたりから「減税は効果があるが公共投資は効果が小さい」という真っ赤な嘘が広まった。98/2/23(第54号)「日経新聞と経済を考えるーーその1」で取上げたように、この頃から勢力を増した構造改革派がマスコミを巻込んでこのような「虚言・妄言」を広めたのである。

ところが今日テレビに登場する構造改革派のエコノミストは、昔の自分達の言動を忘れたように米国の今回の減税は効果は小さいと言い始めている。減税の需要創出効果が公共投資のような直接公金を支出する場合よりずっと小さいことは、当り前の事であり初歩的な経済理論である(実際、米国での減税は一部しか消費に回らず、かなりの部分が貯蓄と借金返済に回った)。

ところが最近、構造改革派の一部は福祉関連の財政支出は経済効果があるが、公共投資はバラマキであり経済効果はないとさらなる「虚言・妄言」を広めている(福祉関連であろうが公共投資であろうが乗数値に大きな違いはない)。このように構造改革派はどこまで行っても卑怯な生き物である

(略)

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JUGEMテーマ:政治



日本経済現状の誤解

経済コラムマガジン 06/3/13(428号)『コンビニ弁当の話』 より


日本の本当(真)の潜在GDP

先週、先々週で今日の日本の総生産力、つまり潜在GDPにまつわる誤解を取上げた。政府関係者、エコノミスト、マスコミ達が言っている潜在GDP(生産力の天井)は、決して本当(真)の潜在GDPや天井ではない。本当(真)の潜在GDPは言われているものよりずっと上にある。したがって日本には大きなGDPギャップが存在している

しかし日本が昔から余剰生産力がある状態、つまりGDPギャップがずっと存在したという話ではない。少なくとも第二次世界大戦の準備段階の頃から、日本では需要が供給を上回っていた。丹羽春喜大阪学院大学元教授によれば、当時の日本の工業生産力では巨大な戦艦を2隻(大和と武蔵)造るのが精一杯であった。一方、米国の生産力の余剰は巨大であった。日米の戦争の勝敗を決めたのは、この工業生産力の余剰の差と言える。

ちなみに米国の生産力の余剰(GDPギャップ)はあまりにも巨大だったので、第二次世界大戦の軍需でもこのギャップは解消しなかった。このため戦後にも米国は、国債(財務省証券)をどんどん発行し、財政支出を増やし、デフレ対策を行った。特に新興共産国家ソ連に対抗するため、社会福祉予算を大幅に増やした。また金利が上昇しないよう、大量に発行した国債(財務省証券)を青空天井で連銀に買わせた。連銀が政府の管理を脱し自主性を取戻したのは、51年の協定締結(所謂アコード)による。この頃になってようやく米国のGDPギャップは解消したのである。


逆に日本の場合は、第二次世界大戦によって生産設備が壊滅的な損害を受けた。GDPギャップどころか、生産力をほとんど失った。当然、日本は戦後、激しいインフレに見舞われることになった。しかし高度経済成長期を通じ、大きな設備投資が行われ、インフレギャップは解消し、逆にデフレギャップ、つまりGDPギャップが発生した。丹羽元教授によれば、日本では75年頃にGDPギャップが発生し、それ以降GDPギャップは拡大を続けているという話である。

筆者も、この頃から日本経済が変質したと感じている。80年代に入ってそれがはっきりしてきて、とにかく物価が上昇しなくなったのである。これはGDPギャップが発生しているにもかかわらず、日本の設備投資が依然高水準で推移したからである。先進国、例えば米国と比べても、日本においては過大な設備投資がずっと続いた。本誌はこのことを03/7/28(第307号)「設備投資の実態」で取上げた。

戦時中や戦後の異常な時期を別にして、日本では生産力に巨大な余力がある状態が継続して続いている。特に高水準の新規設備投資がなされることに伴って、生産性の高い技術がどんどん導入され、一段とGDPギャップは大きくなっている。


価格の上昇しない日本経済

前段で説明したように、今日の日本経済では、供給について心配する必要はない。仮に一時的に供給サイドにネックが生じても、たちまち解消されると考えて良い(実際は大きなGDPギャップが存在)。しかし古典的な経済学が染み付いているエコノミストや、書物だけで経済学を学んだ人々は、需要と供給を別物と観念的に捉える。したがって価格はいつも需要と供給で決まるという、極めて幼稚な理論を無邪気に信じている。したがって需給が均衡している状態において需要が少しでも増えれば、価格が上昇しハイパーインフレになると思い込んでいる。

これらの人々は、需要と供給を二元的に捉えているのである。しかし現実の経済に身を置いている者は、需要が存在して始めて供給が問題になることを知っている。そのため供給者である民間企業は、需要が何なのか、あるいはどこにあるか日夜血眼になって探している。ところが構造改革派のボンクラエコノミスト達は、需要が急激に増えたら、ただちには供給サイドが対応できず、やはり価格が上昇すると言った寝言を言っている。


筆者の知人にコンビニを経営している人がいる。以前、この人から「今日コンビニで売れているのが300円の弁当として、もし弁当の売れ筋が500円になったらGDPはそれだけ増えるのではないか」という質問があった。筆者は「いや、全くその通り」と答えた。さらにこの人は「コンビニの弁当工場では、今の弁当生産ラインを変えることなく500円の弁当を作ることができる。今日、不景気だから300円の弁当を作っているだけなんだ。」と言っていた。

現実の経済社会では同様なケースが数限りなくある。車だって高級車の製造ラインでもっと安い車を作ることがある。そば屋は「天麩羅そば」が売れず、「かけそば」ばかり出て売上が落ちている。すしだって「回転すし」で良いという世の中である。また同じすし屋でも、「並」ばかり注文されれば売上が落ちる。床屋もカットだけで良いという客が増えれば、床屋の実入りが減る。

つまり人々の所得が増え、同じ消費でも価格が高いが質の高い消費がなされるなら、国内総生産(GDP)は増える。ところがコンビニで安物の300円から500円の高級弁当に消費が移っても、弁当工場は難無くこれ対応し、明日からでも500円の弁当を供給できる。需要が増えるといっても、安い300円の弁当が二倍売れるということではなく、日本のような成熟した消費社会では、値段は高いがより質の高い物が売れることが十分考えられる。つまり需要さえあれば、どれだけでも国内総生産(GDP)は成長する。「日本の潜在成長率が2%、つまり成長率の限界は2%」と言っている者は、嘘つきか経済を全く知らないと思えば良い。


このように今日の日本では、需要が増えても、瞬時に供給サイドが対応し、必ずしも価格が上昇しない消費項目は沢山ある。さらに消費財の価格決定のメカニズム自体が変化している。例えば需要が増えることによって逆に価格が下落するケースが目立つようになっている。実際、今日、消費額の比重が大きくなっているIT関連機器は、需要が伸びるほど逆に価格が下落している。また今日消費に占める比率が大きくなっているのが通信費である。しかしこれも需要が増えるにつれ、はっきりと価格が下落している。

特に通信の分野では、先ほどの03/7/28(第307号)「設備投資の実態」で述べたように技術進歩が顕著である。たとえば光ファイバーWDM(光波長分割多重伝送)装置というものが登場している。たった2億円のこの装置で、東京ー名古屋間の光ファイバーの通信能力が40倍にもなる。これだけ安価に供給力が大幅に増えるなら、需要が増えても価格上昇どころか、価格は下落する。

間抜けな古典派経済学の信奉者(構造改革派)は、消費の中心が米・イワシ・ダイコンと言った時代の経済を念頭に置いた経済理論を振回している。たしかに世界経済は見渡せば、今日、新興国の需要増で石油価格や鉱物価格の上昇が見られる。しかしこれも一時的現象と見る。むしろ今日の日本は、需要増が価格上昇にほとんど結びつかない消費構造・経済構造になっている。さらに経済のグローバル化や規制緩和の進展が、この傾向に拍車をかけている。


実際、日本には少なくとも過去30年間、大きな生産の余力を持っていた。それでは日本国民は騙されてきたという話になる。つまり大胆な需要政策を行っても、ハイパーインフレになることはない。もっとも現実の経済に接している人々は、生産力が余っていることを当り前と肌で感じているはずである。ところがこの人々さえがまんまと騙されているのだ。

日本の大衆は、「構造改革」とか「改革」という抽象的な言葉に騙され、日本経済の現状を誤解している。ばかげたことを言い続けているのは、何の役に立たない日本の経済学者、エコノミストと小泉政権と日経新聞であるが、この大嘘がまだまだバレない。彼等は大嘘がバレないよう、次々に悪者を作り上げ、人々の関心を巧妙に反らしている。人々は、この「改革」で悪党を懲らしめれば経済がまともになると言った嘘話に翻弄され、これで溜飲を下げるよう仕向けられている。


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国家とは何か(3)

フォトン・ベルトの真相―2012年12月22日のためのアセンション
エハン デラヴィ 2003年5月2日発行 より


「独立個人」のすすめ(P.156)

今までに存在したどんな社会の住民よりも、今の私たちはコントロールされていて、監視されていて、操作されている。もちろん情報とメディアにによるものなのだが、史上もっともコントロールされているのが、現代の地球人ではないかとすら思える。

いわゆる宇宙の神というべきか、宇宙のこころとでもいうべき壮大な存在とのコネクションは、完璧に近いほど失われてしまった。私たちは実に迷える者たちなのである。

そこで、偽物のリーダーやグルのような、一見魅惑的で魔術師のような人物に、大勢の人々が自分のプロセスの大切な1ピースを託してしまおうとする傾向が続いてきた。政治家も含めた一握りの権力者が決めることが、各国に大きな影響を及ぼしている。

ここではっきりと認識しておいていただきたいのは、この本を読んでるあなた自身には、毎日毎日起きている世界の出来事に対する影響力はないということである。現状を管理する力はなったくないに等しい。したがってデモクラシーという非常に幼稚な考え方から、われわれは進化しなければならない。

今の世の中は、戦争とカタストロフといった、まったくもって地獄のような状態に向かい、フルスピードで疾走していることは事実である。

こんな現状の中、どの政府であろうが、どんな世界的な宗教であろうが、どんなにすばらしい組織力があるグループであろうが、われわれをこのエントロピー(無秩序)から本当に救えるものは存在しないといえよう。むしろ反対にあらゆるシステムが今、周りでどんどん崩壊しつつある。

こうしたことに気づいてこそ、あなたのパラダイムは国家や権力を持ったものに束縛されない独立した自分、他社と自分を同じように大切にする力を持った人間へとシフトしていくのである。

そんなあなたを、私は「独立個人」と表現する。

「独立個人」への道は、究めるに値する素晴らしさと目覚めがたくさんあるように私は思う。確実にあなたの現実を変えていく。当然、あなたが変わると周りも的確に変化するはずである。

意識に目覚めた「独立個人」たちが作りあげていくリアリティーこそが、私が数年前より提唱している「リアルエイジ」の実態である。もちろんこれは、理想ばかり膨らんで実際のところはさほど変化は来せなかった「ニューエイジ」時代にとって代わるものとして提唱した。


独立個人とは、自分で自分を治めること(P.159)

「独立個人」という概念は、私が発明者というわけではない。

1997年ごろ、「独立個人」“The Sovereign Individual”(未邦訳)という本が発刊された。著者は、ウィリアム・リース・モッグ卿という。イギリスのエスタブリッシュメントで、以前ロンドンタイムズの編集長をしていた。マーガレット・サッチャーのアドバイザーも務めたこともある、なかなかの人物である。

「今までの歴史の流れは権力に基づいている。しかし、その権力というものは本当に必要なのだろうか」ということを彼はこの本で著している。

モッグ卿のいうSovereign Individualという表現が、ここ5、6年の間で、特に欧米のビジネスの世界でのリーダー的な人たちの間で注目されてきた。その理由は、現実社会の問題として、先ほど述べたような政府や権力者のやりすぎと、そしてそれとは逆に、われわれ国民一人ひとりの無関心によってつくられた現状に気づいて、うんざりさせられているアッパーミドルクラスが増えてきたからである。

それに加えてインターネットの発達によって、情報格差のない本当の意味でのボーダーレス世界が開けてきた。個人個人のことを成しえる範囲は非常に拡大し、コンピュータを一大持っているだけで、いろんな分野の情報がアクセス可能となり、どこの国の誰であろうがコミュニケーションはもちろんのこと、ビジネスもできる時代となった。自分の住む環境も含めて、あらゆることがより自由に選択でき、人生を一層、クリエイティブに生きることも今となっては可能である。

Sovereignのreignとは、治めるという意味があり、王様のごとく治めることである。

誰を治めるかというと、自分以外の誰でもない。国家に治められるのではなく、一人ひとりの個人が、自らの王国を治めることである。

言い方を変えれば、自分の日々体験する世界に対して100パーセント責任を持ち、良識ある個人として、クリエイティブな生き方を選択するという意味である。

ごく当たり前のことなのだが、いつのまにか私たちは、誰かによって管理してもらいたがる人間となってしまった。それが結果としてナショナリズム(国家主義)が横暴をきたす道を歩んでしまった理由である。


国家は最大の暴力団(P.165)

気づきを得た「独立個人」は、この世は一体何によって動かされているのかという疑問を抱くべきである。これは追求するに値する非常に大切な問題意識である。

世の中を実際に動かしている中心的なエネルギーは何かと問うと、間違いなく「勢力」だという答えを私はもっている。そしてある本の説明によると、そういった勢力を「フォース」と呼んでいる。

勢力とは、とことん問い詰めていくと暴力であり、世界のすべての国家主義は、そのエネルギーを確かにコアとして持っている。見方によれば国家とは、最大の暴力団なのかもしれない。

今のアメリカ対イラクの戦争は、その完璧な例である。世界のリーダー的な国のやり方が、暴力団の手法と同じであることに気づかないのは、現実を見る力がないからか、システムにすっかり洗脳されているからとしか考えられない。

そのような気づきが、世界中で広まってきているのは事実であり、これこそ暴力的な世界の終わりを私たちの力で築き始めている証拠である、暴力的な地球人には、暴力的な空しい終末しか待っていないのである。これが宇宙の秩序というものである。

こうした現実の中に暮らしている独立個人には、あらゆるシステムの崩壊が見えるはずである。すべてのシステムに対して疑う力を養っていくことと同時に、情報の豊かさによってシステムに所属しなくても生きていける方法をいろいろと発見していただきたい。

誰がシステムからの利益を一番、得る者なのかと考えてみてほしい。答えはシステムのクリエーターたちである。システムを作り出す者たちであることは間違いない。

自分の思考を整理して、すっきりとシンプルにさせて、大宇宙の摂理に従えるような、もっと素直な生き方に切り替えていくのが、独立個人が選ぶ生き方である。自分が治める世界はきれいでありたい。

物質や力を求めるという今までの私たちの夢は、なんと幼稚すぎたものかと思う人たちもきっと増えてくるだろう。お金とちょっとした栄光で幸せになろうとするのは、ナンセンスであると気づく人たちも増えてくるに違いない。いくらお金や権力があっても、またいくら影響力があっても、それが本当の幸せであろうかと考える人々もきっと増えてくると私は思う。それらの方向は、本当のスピリチュアリティにはほど遠くて、知らず知らずいのうちに今の地球の現状と同調して歩むこととなってしまうからだ。

その行き先は、もう言うまでもなく、みなさんにわかっていただけると思う。


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国家とは何か(2)

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フォトン・ベルトの真相―2012年12月22日のためのアセンション
エハン デラヴィ 2003年5月2日発行 より

権力はいらない(P.155)

権力システムは、今まさに勢力を急速に拡大させている真っ最中であり、その勢力によって、ワールドバンクや、IMFとよばれる機関が、アルゼンチンのような国を完全に破産させてしまった。これが彼らのやり方なのである。

−−−−−

IMFの正体 → 「ジャマイカ楽園の真実」 ※映像がスタートします、注意!


ステファニー・ブラック監督インタビュー
ジャマイカ楽園の真実 公式HP  より ※BGMが流れます、注意!

−この映画を撮ろうと思ったきっかけは何ですか?

1990年に『H-2 Worker』の一部を撮影するために初めてジャマイカに行きました。
そこに住む人々、美しい自然、オリジナルの文化、特に言葉、英語をベースにしている独特のアクセントを持つパトワ語をとても好きになり、1995年から3年間キングストンに住むことを決めたのです。

住んでみて初めてわかったのは、ジャマイカがIMFから多大な借金を負って、その金利によって労働者達が苦しんでいることでした。

住む前はジャマイカというのは美しく幸せな国だと思っていたのですが、実際には貸付け機関やアメリカ政府からの制圧によって、大変貧しい国だということを知りました。

また、IMFは貧しい国を助ける赤十字のようなイメージを抱いていたのですが、まったく違う機関だということを知り、ショックと怒りを抱きました。

アメリカ人の知識の欠如とのギャップに衝撃を受け、この映画を作らなければいけないと思いました。
ジャマイカでは地元のプロダクション会社に勤務しつつ、この映画の構想を練ったのです。


−IMFはよくアメリカの資本主義を押し付ける機関だと言われますが。

400年間のイギリスの支配からの解放後、いきなり自由になり経済的基盤ができていない国に、他の国と同じようにお金を貸し付けたことに問題があります。

またそれぞれの国が一般の民間銀行からお金を借りようとしてもIMFの承認がないと借りられないんです。

すると結局、承認を下ろされないIMFから高利子で借りるしか選択がなくなり、こうして悪循環がくり返されるのです。


−この映画を撮ることにリスクは感じましたか?

いいえ。
IMFや世界銀行はこのような映画ではびくともしないほどの巨大な機関ですから。

それにこの映画はIMFや世界銀行への告発を意図したものでなく、多くの人々へのメッセージです。

この映画を観た人がIMFの実状を知り、IMFへなにかしら働きかけることによって最終的にはIMFの体質が変わっていくことを望みます。


−映画を制作した後のジャマイカについてはどうですか?

3週間ほど前にジャマイカを訪問しましたが、現状はさらに悪くなっていました。

多くの農場は閉鎖され、フリーゾーンはジャマイカよりさらに賃金の安いハイチやドミニカ共和国などの国に移行しています。

一番ショックだったことは、農場主たちは自分達で作物を作ることを辞め、外国から入ってきた安い品物を売るようになっていたことです。

ジャマイカ国民が自国の製品や作物を買うようなシステムを作らなくては、この現状を変えることはできません。


製作・監督:ステファニー・ブラック

−−−−−

しかし単にアルゼンチンだけの問題ではない。こういった勢力は、環境破壊や動植物の種が絶滅する進行度合いにも拍車をかけている。そして何よりも国家主義を奨励する政府は、まさしく神の真似をするような行動をとり、われわれを信者にさせるための世の中をつくりあげようとしている。今のアメリカにその例を見てとれる。

たとえば最近、英字新聞を見ると、Goverment(政府)という言葉を省略して、GOVT(ガブト)という新しい言葉を作った。どのページを見ても大きな字でGOVTという文字が目立つ。

「GOVTはこのように捉えている」「GOVTはどういう意見だ」「GOVTはこう決めた」「GOVTの新しい法律とは」‥‥などである。まるでGOVTという文字をGOD(神)のように感じさせる、サブリミナル的な働きがあるではないか。

このような世の中に変わってきているにもかかわらず、あたかも神のように変身したGOVTという絶対的な存在に対する疑問を抱く力を、大方の人々は持っていない。


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国家とは何か(1)

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また「日本財政」から外れます‥^^; 興味の無い方はスルーしてください。
そもそも「国家」というものは何なのか?それは本当に私たちを幸せにしているシステムなのか?という話です。

フォトン・ベルトの真相―2012年12月22日のためのアセンション
エハン デラヴィ 2003年5月2日発行 より

現実を見抜く力がより要求される時代(P.148)

この本でお伝えしている事々が、本当に本当であれば、政府やマスコミによってもっと早く知らされるはずである、と疑う読者がいて当然だと思う。しかし、事実はいつもその通りには教えられていないものなのである。

1992年8月24日にハリケーン・アンドリューがフロリダの海岸を襲ったとき、アメリカ海洋大気局(NOAA)の発表では、26人の犠牲者が出たと報道されたが、事実はまったく異なっていた。

ハリケーンは、警告の余裕がないほどあっというまに、コースを変えてしまった。

私は生存者報告を個人的にチェックしてみた。すると、カリフォルニア州軍のデータでは、犠牲者が5820人にのぼっていたことが明らかになった。トラック数百台分にも及ぶ死体が取り出される間、被害が発生した地域は憲兵によって立ち入り禁止となり、報道はすべて制限されてしまった。政府はフロリダの一部の地域に警告することができなかったという真実を、人々に知らせるわけにはいかなかったからである。

インターネットが広がる現在、情報や昔とは比較にならないほどに個人的になってきている。最近では事件が起こっている場所にいる複数の個人によるレポートだけしか信頼できない現実が、より鮮明にわかってきた。

世界貿易センターのテロリスト攻撃についても、インターネット上のどれほどの人の情報がどのようにまったく異なる見解をもっているかについてを講演で話したことがあるが、しかし世界の大部分の人々はいまだにビン・ラディンがテロ事件の犯人だと信じている。

最近、あなたはその後のビン・ラディンについて耳にしただろうか。ビン・ラディンは決して見つからないし、また新しい『悪者』が彼と交代に出現するであろうと、私は一年ほど前にみんなの前で述べたことがある。現実はそのように動き、現在ではサダム・フセイン※が悪者である。※2003年当時

ニュースというものは、真実の情報を提供することに関心がない人々によって製作されている。NHKであろうと、BBCやCNNであろうとも、源はみなほぼ同じである。

異なる種類の情報を集めるための唯一の場所は、今やインターネットとなった。

インターネットをサーチする知識人と、新聞・テレビ信者との違いは、博士号持ちの教授と小学生の違いほど情報の内容が違ってくる。これは大げさでも冗談でもない。

情報とは、現代に生きるわれわれが持つもっとも極めて貴重な資源であり、そして情報をコントロールするためには何億ドルもが支払われるものなのである。

アフガニスタンとイラクのような場所を買収する理由をつくるために、強力な石油会社によってテロリズムは引き起こされるのであり、実際にはわれわれが信じ込まされているようなテロリストは存在しないということも、私は日本のみなさんに講演で話した。しかし一般の人々は、そのような事件の背後にある真実や、つねに英国とアメリカが世界の石油帝国であることなどを調べようとはしない。

見栄えのする雄弁な人間がリーダーとして選ばれていて、事の成り行きをメディアを通して語るかぎり、私たちは何が本当に起きているのか想像すらできない。

アルゼンチンのような国は、IMF(国際通貨基金)と、世界銀行と呼ばれている本当の意味でのテロリストによって、経済から蝕まれていき崩壊させられてしまう。

われわれの世界はこうした巧みな方法で、気がつかぬ間に次から次へと買収されている最中なのだ。

民主主義的で自由な国家に暮らしていると信じていても、戦争を止めることすらできない。それのみならず、自分の資産もすべて国家に管理される生き方を私たちは選んでしまった。私たちが決して見ることもできない少数の人々によって、私たちの人生に影響を及ぼすすべての方針が決められるのである。

政権を握っている人々が、実際にメディアも含めて経済も国も自由自在にコントロールしていて、その間、私たちは生き残るために必死で、忙しくて、現実はそういったことに関与できない仕組みとなっている。

−−−−−

IMFというのは本当にヒドイ組織のようです。
発展を助けるためにと言いながら、その国の労働力だけを搾取する仕組みができあがっている。

ドキュメンタリー映画「ジャマイカ楽園の真実」では、ジャマイカ政府、IMF双方の言い分が主張されています。→ 作品の一部はこちら ※映像がスタートします、注意!

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権威のある人が、私たちに自由を提供しているか?(P.151)

こういうことをいうと、私は陰謀論者だと一部の人には判断されてしまうのだが、スピリチュアル性だけを追求するのではなく、私たちが暮らす現実全体を見抜く力が、これからの進化に欠かせない過程であると私は信じている。

今の社会と暗黒時代と呼ばれている中世期を調査して比べてみた人がいる。中世に生きた人々よりも現代に生きる私たちの方が自由が少ないという驚くべき結果がでた。

あまし信じたくはないが、これから進化する人類の無限の可能性から見ると、今の私たちはまだ奴隷に近い生き方をしているといえよう。

このままいくともっと悪化してしまうだろう。

私たちは権威のある人を必要とするのだろうか。

リーダーは必要なのだろうか。

健康について根本的な理解がない医者たちに、いつまでも頼る必要があるのだろうか。

自分自身でいることが、なぜ、それほど怖いのか。

なぜ、子供たちを権威のコントロール下にある「学校」と呼ばれているところに送るのだろうか。

親はもっと子供たちを信頼できないものだろうか。

私たちはもっと基本的なレベルで、すべての権威に対して疑問をもつ必要がある。


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成果主義は企業を破滅させる(3)

運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章
天外 伺朗 2004年11月25日発行 より

運命に「貸し」を作る(P.90)

私は、大企業に40年間勤務してきたが、公平かつ客観的で合理的な評価など、そもそもあり得ない、という立場を貫いてきた。だから、マネージャーに対しては、こう言ってきた。

「無理矢理、公平であろう、とか、客観的であろう、とか考えなくてもいいよ。評価というのは、どうせ主観的なものだから、自分の思った通りを、自分の生命をかけてズバッと書きなさい。ただ、常日頃から、自分の気持ちの中に、不純な要素はないか、よこしまな想いはないか、チェックする習慣を身につけておくといいと思うよ」

つまり、会社の人事部が提出する精密なチェックシートなどは一切無視して、自分の直感を信じて、自分の責任でズバッと評価しろ、ということだ。

ただし、だからといって好き勝手にやっていいわけではない。そのときの自分の心の中に、嫉妬、怒り、怨嗟、陰謀など、低次元の想いがないことが重要だ。

「不純な、よこしまな動機で、評価に歪みが入ると、結局はめぐりめぐって、自分のところに返ってくるよ」

これは、明らかに脅しだ。脅して、「純粋になれ」といっている。根拠はないのだが、この話の背景には「カルマの法則」というものがあり、日本人の心の深層に根付いているのだが、これについては次章で触れたいと思う。

日本人の心の根底には、「因果応報」的な考え方が、びっしりとこびりついている。

だから、結構この手の脅しがきくのだ。

一方、評価される側の従業員には、こう言ってきた。

「そもそも、客観的で公平な評価などは、この世に存在しない。だけどもし、自分が不当に低い評価を受けたと思ったら、がっかりしたり、怒ったりしないで、本当は喜んでいいのかもしれないよ。なぜならあなたは、そこで運命に『貸し』を作ったことになるからね。それに見合った好運がそのうち絶対やってくるはずだよ」

まことに怪しげな話だ。一流企業の、博士号を持った重役の話とは到底思えない。まるで新興宗教か、場末の占い師だ。おまけに聞いている方は、世界的にトップクラスの高学歴のエンジニア達なのだ。反発があっても当然なのだが、皆は妙に納得してしまう。

人間は老若男女、学歴の有無、地位の上下、洋の東西を問わず、「運命の神秘」に対するほのかな憧憬を必ず抱いているものだ。

運が悪かったときに、泣き叫んだり、ジタバタしたりしないで、それを淡々と受け入れると、いつかは好運が訪れる。つまり、運命に「貸し」をつくると、やがてそれが返ってくる、という話は、表面的には荒唐無稽なのだが、皆の心にはストンとおさまる。

20世紀の企業経営は、理性と論理でガチガチに武装していないとやっていけなかった。21世紀にはもっと目に見えない部分に注目することが要求されよう。たとえ言語でうまく表現できなくとも、宇宙の深層部の流れを大切にする、ということだ。

そのためには、理性による論理回路をオフにし、直感の回路を音にする必要がある。ただし、そのときに心が純粋な状態になっていないと、直感に頼ったつもりが「思いこみ」と「ひとりよがり」の偏った判断になってしまうので、注意を要する。直感を使うには、心を純粋にする訓練を積まなくてはいけない。

面白いことに、これらのポイントは「フロー」に入るためのコツとまったく同じだ、どうやら、このあたりに「21世紀の企業理念」の秘密が隠されていそうだ。


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成果主義は企業を破滅させる(2)

運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章
天外 伺朗 2004年11月25日発行 より

結果よりもプロセスが重要(P.87)
(抜粋)
よりによって、その大失敗をしたプロジェクトを、井深さんはしみじみと評価したのだ。つまり、そのプロジェクトで人が育ち、技術やノウハウが蓄積され、それがトリニトロンの成功につながった、ということだろう。

そのことに気づいてから、社内のプロジェクトを見る私の目は変わった。よくよく観察すると、一つのプロジェクトの成功の背後には、それを支えたおびただしい数のプロジェクトがあること、そして、そのほとんどは日の目を見ていない、ということがわかった。つまり、通常、陰で支えたこれらのプロジェクトは、誰にも認知されないのだ。

ロケットにたとえれば、三段目のロケットが人工衛星の周回軌道に乗るためには、空しく燃え尽きていった一段目、二段目のブースターロケットの働きが、どうしても必要だったのだ。

ただ、失敗したすべてのプロジェクトが、ブースターロケットになるわけではない。プロセスが問題なのだ。プロセスがよければ、いくつかの捨て石をへて、何段目かで周回軌道に乗れる。プロセスが悪いと、次へはつながらない。これは個人の人生でも同じだ。結果よりプロセスが重要なのだ。プロセスの良し悪しの判断基準のひとつは、「フロー」に入っているかどうかだ。

またこれはプロジェクトの評価だけでなく、人の評価にもあてはまる。

ひとりの人の成功は、きわめて大勢の人の努力に支えられている。彼らの貢献は、よほど注意して見ないと、気づくことはできない。仕事に直接関係していない人間が、実は深層心理的には皆のマインドを支えていた、ということも十分あり得る。


破滅に向かうコンサルタント(P.88)

第6章で述べたように、バブルがはじけ、多くの日本企業は人事評価や業績評価の改善に取り組んだ。そして、そのほとんどが、専門のコンサルタントを使った。。

コンサルタント会社は、現場のことをほとんど知らないが、頭でっかちなアメリカ流の合理主義経営のノウハウに精通しており、評価のためのマニュアルや、詳細な評価シートを提供し、公平で客観的な人事評価の方法を教授している。あるいは、「360度評価」と称して、上司からだけでなく、部下や同僚からも評価を求めて公平を期する、という方法も盛んだ。

業績評価に関しても、投下資本コストを含めて、最も合理的な評価は何か、ということに関して莫大なノウハウがある。

しかしながら、第6章で記したように、これらの精緻な人事業家や業績評価を導入した企業が、軒並み社内の活力を低下させ、業績をさらに悪化させた。私は、それを「セーフベース」と「フロー理論」で説明したが、じつはもうひとつ理由がある。

これらの評価法は、三段目のロケットの結果のみに注目している。一段目、二段目のロケットの貢献に気付いていないのだ。

結局、精緻な評価法を導入すればするほど、人々は三段目のロケットで結果を出すことしか考えなくなる。一段目、二段目の役割をになって、地道な努力をする人がいなくなり、その企業は周回軌道までロケットを打ち上げることが二度とできなくなってしまう。

何のことはない。莫大なコンサルタント料を支払って、破滅に向かう指導を受けてしまったのだ。

合理主義を追求すると、えてしてこういうことになる。

いまの世の中は、何事によらず、論理的かつ合理的に追求しなければ気が済まない、そして、すべては言語で記述できると錯覚している。合理的ではない判断を「山勘」といってさげすむ傾向がある。

ところが、本当のところは、論理や言語で記述できるのは、物事のほんの表層のみであり、宇宙の営みには「共時性」に見られるような、はかり知れない深さがある。

その宇宙の深層部に触れるのは、論理や言語ではなく、研ぎすまされた直感だ。したがって、自分自身の内側からこみ上げてくる声に、どれだけ忠実に耳を傾けられるかにかかってくる。

人事評価や業績評価でいえば、コンサルタント会社が提供する合理的な評価法を導入すればするほど、内側からの声が聞こえにくくなってしまう。

このあたりは、「外発的報酬」を強化すると、「内発的動機付け」が抑圧され、「フロー」に入りにくくなる、というのに似ている。


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成果主義は企業を破滅させる(1)

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アメリカの主張をグローバリズムとしてむやみに取り入れた結果の日本経済の没落。
企業も同様にアメリカ型の競争を取り入れたその結果、散々な目にあっています。
この本の著者は、ソニーでCDの共同開発、AIBOの開発責任者をつとめた方です。
「ソニー神話」の頃のソニーはどのような状態だったのか。また、成果主義はなぜダメなのかについての主張を以下ご紹介。
(「日本財政」からは少しはずれますので、興味のない方はスルーしてください)

運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章
天外 伺朗 2004年11月25日発行 より

加速度的に幸運を呼び込む(P.79)

前章で「外発的報酬」(金銭や、地位、名誉などに対する期待や、処罰や不名誉に対する恐れ)中心の経営を「20世紀型」、「内発的報酬」(仕事、遊びにかかわらず内部にこみ上げてくる喜びや楽しさ)を「21世紀型」と呼んだのは、それぞれがほぼ後期自我[注1]、成熟した自我に対応しているからだ。当然後者の方が、より進化した意識レベルに対応している。20世紀型の合理主義経営を推し進めると人々は「フロー」[注2]に入れなくなるだけでなく、成熟した自我の段階まで成長した人を排除してしまうことになる。社内は、殺伐として競争社会になってしまうだろう。

人間は、意識の成長・進化が進むにつれ、戦う人生から次第に幸運にめぐまれた「フロー」中心の人生へ移行するというのが自然な姿であり、競争の中でしゃにむに闘っている間は、まだまだ未熟といえる。

いまの近代文明社会は、社会生活をきちっとこなしていくと、後期自我[注1]まで成長できる仕組みが、社会に内在している。つまり、そこまでは、ひたすら仕事に励むことで到達できるのだ。

しかし、後期自我から成熟した自我に成長するメカニズムはいまの社会の中にはない。そうなるためには、単に仕事をしているだけではだめで、瞑想などの何らかの宗教的修行か、サイコセラピーなどを受ける必要がある。(「深美意識の時代へ」天外伺朗著 講談社2002年)

ところが「深いフロー」というのは、瞑想と同じような至高体験を伴う。ということは、瞑想と同様に、意識の成長・進化を促進する効果があるということだ。(第4章)。

つまり、一度首尾良く「フロー」に入ることができると、意識の成長・進化が促進され、ますます「フロー」に入りやすくなる。加速度的に幸運を呼ぶスムースな人生になっていくのだ。

私自身が何度も経験した「燃える集団」[注3]でも、体験者が一様にひと皮むけ、精神的に成長したことが観察された。第2章で、AIBOの開発チームを「燃える集団」にするため、かつての経験者を呼び戻した、そいう話を書いたが、それは経験者の意識レベルのステージが、他者よりも一段上がっているからに他ならない。


社会レベルの進化とフロー(P.80)

いまの日本の社会で、初期のソニーのように恒常的に「フロー」が体験できるという場は、きわめて少ないだろう。

大多数の職場は低次元の不明瞭な雰囲気の中で、「外発的報酬」をめぐっての欲望が渦巻く「修羅場」と化している。そこでは、人々の意識レベルはなかなか成長しない。

企業や上司にべったり依存する人は、まだまだ多い。そういう人の意識レベルは、ほぼ中期自我だと思ってよいだろう。かつての日本型経営スタイルが、中期自我にとどまったまま一生を過ごす人を大勢育ててしまったのも事実だ。

一方のアメリカは、従業員を簡単にレイオフできる社会だ。アメリカ人は、友人をとても大切にする。それは、レイオフされたときに頼りになるのだ友人関係だからだ。

当然、企業に対する忠誠心は薄い。

つまり、中期自我で会社に依存していたら生きていけない社会なのだ。したがって、小学校の教育から、精神的自立を叩き込まれ、後期自我へ早く到達するように仕込まれる。

したがって、日本とアメリカの社会を比較すると、日本では中期自我の人が多く、アメリカでは後期自我の人が多い。それが冒頭に記したアメリカ人の方が自我(エゴ)が強い、という印象につながっている。

そう書くと、「ああ、やっぱり‥‥」と思う人が多いだろう。

実際、「日本社会がアメリカ社会より遅れているので早く追いつかなければいけない」と考えている人は大勢いる。だから、前章に記したように日本型経営が崩壊し、軒並みアメリカ型の合理主義経営が導入されたのだ。だが、これは、とんでもない間違いだ!

社会の進化の方向性は、はっきりとわかっている。その方向性に沿って、いくつかの指標を抜き出すことができる。

たとえば単位人口あたりの刑務所の収容人員数は、アメリカは日本の15倍以上に達する。

つまり、社会全体としては、中期自我の比率の高い日本社会の方が、後期自我の比率の高いアメリカ社会より進化しているのだ。それはなぜか。

じつは、日本社会は中期自我の比率も高いが、同時に成熟した自我の比率も高いのだ。つまり、アメリカ社会、とくにその富裕層が、後期自我のレベルに集中しているのに対して、日本社会は、中期自我、後期自我、成熟した自我と、広範囲に人口が分散しているのだ。

そのため、前記したように、日本型経営は「21世紀型」と「19世紀型」が併存していたのだ。そして、その「21世紀型」の部分が、「フロー」を通じて人々の意識を成長させ、成熟した自我の人口比率を上げてきたのだ。

もちろんその背景には、東洋の伝統というのが、もともと合理主義に凝り固まった西洋の伝統に比べて、成熟した自我を生みやすい土壌になっていた点は見逃せない。


[注1]人間の自我の確立にいたるプロセス(P75より抜粋)

初期自我→中期自我→後期自我→成熟した自我
順調に発育した場合には、初期に4歳、中期に7歳、後期に12歳ぐらいで到達する。
成熟した自我まで達する人は、今の社会ではきわめてまれである。


[注2]フロー(P.30、P33より抜粋)

1960 年代に当時シカゴ大学の教授だったチクセントミハイが提唱、「フロー」というのは「流れ」を意味する。
フロー状態の特徴
1.行為に集中、没頭している
2.浮き浮きした高揚感
3.雑念がほとんどわかない
4.時間感覚の喪失
5.自分自身の感覚を喪失している
6.その場を支配している感覚。自分が有能である感覚
7.周囲の環境との調和、一体感


[注3]「燃える集団」と名付けた現象(P.19より抜粋)

チームが夢中になって仕事をしていると、突然スイッチが劇的に切り替わることがある。
その状態になると、まさに怖いものなしになる。どんなに困難な局面を迎えようとも、必ず突破口が開かれる。新しいアイデアが湯水のようにわいてくる。必要な人と、まさに絶好のタイミングでめぐり会い、プロジェクトを成功させるのに必要な技術や部品が、まるでタイミングを見計らったかのように出現する。
まさに幸運の波に乗った状態になるのだ。


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改造すべき「構造」とは何か(7)

『エコノミストは信用できるか』東谷 暁 著 2003年11月発行 より

いったい何が「構造」なのか分からない (P.133)

「構造改革」という言葉で指摘されるものが、いったい何を意味していたのか。いまではますます不明瞭になってしまった。

2001年、小泉政権が成立すると、小泉首相は「構造改革なくして景気回復なし」と唱えたが、この時点で「構造改革」と呼ばれるものは、次に示すように膨大な数に膨れ上がっていた。

流通機構を改める構造改革、財政を変える構造改革、産業構造を調整する構造改革、金融システムの構造改革、官庁の名前を変える構造改革、政治制度を変える構造改革、社会保障の制度を変える構造改革、医療制度を変える構造改革、税制を変える構造改革、中央と地方の関係を変える構造改革、IT革命が円滑に進むための構造改革、生産性を向上させるための構造改革、コスト高を解消する構造改革、特殊法人を廃止する構造改革、郵便事業を民営化する構造改革などなど。

さらに小泉政権が成立した直後に日本経済新聞は社説で「不良債権処理という構造改革」を行えと論じて、かつては誰も「構造改革」などとは呼ばなかった不良債権の処理すらも「構造改革」と呼ばれるようになった。

結局、「構造」とは何か不都合なもの、あるいは気に食わないものであり、不都合なものを排除するのが「構造改革」だという以上の意味はもっていない。

かつて旧社会党のなかに「構造改革」派という派閥があったが、彼らが目指していたのはマルクス主義的な社会主義だった。ここでも「構造」は社会主義者が気に食わない資本主義経済であり、「構造改革」は気に食わないものを破壊すること以上の意味はなかった。

現在、こうした「構造改革」を進める竹中平蔵大臣が91年6月に主張していたことを、もう一度思い出してみよう。

「内外価格差の解消、労働時間の短縮、その他もろもろの規制緩和といった、いわゆる日本経済の構造調整は、長年の国内的課題である国民生活の豊かさの実現をはかるものである。その意味で今日の日本経済は、政策選択という点でこれ以上ない幸運な立場にあるとも言える」

この「幸運な立場」にあった日本は、日米構造協議でアメリカ側から出された要求を呑み、内需拡大、構造調整、そして規制緩和に邁進してきた。いまでは、これらの「改革」案が、当時のアメリカの政治的な都合から発せられていたことすらも忘れてしまった。

だいたい、公共投資を批判するエコノミストは多いが、それがアメリカの強い要求だったことを覚えている人は少ないのではないか。

先日亡くなった元名古屋大学教授の飯田経夫氏は『Voice』98年1月号で、次のように述べている。

「日本における経済政策論議のキーワードは、一貫して『内需拡大』と『市場開放』もしくは『規制緩和』とであった。ところが内需開放も市場開放・規制緩和も、ともに日米不均衡を原因とするアメリカの対日要求に発するものであり、ことの起こりは『日本発』ではない。‥‥はじめは日本の貿易黒字減らし策として唱えられたはずの『規制緩和』が、いまでは奇妙なことに(!)日本経済再活性化のための究極の『秘密兵器』と化し、『規制緩和』の大合唱が行われている」

その結果、バブル崩壊後のデフレ的な景気後退で内外価格差が縮小し、不況の長期化によって労働時間が短縮され、規制緩和で各地に生まれた容積率の高いビジネス・ビルは不良債権を増大させているが、国民生活の豊かさだけは、長期低落の傾向にある。


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改造すべき「構造」とは何か(6)

『エコノミストは信用できるか』東谷 暁 著 2003年11月発行 より


異端説を採用しても「高コスト」ではない (P.129)

この「高コスト」論争は、政治的には「高コスト」派が勝利した。というのは、97年5月に「経済構造の変革と創造のための行動計画」が閣議決定されてしまったからである。
この中には「高コスト構造の是正」が重要項目として提示されていた。橋本政権は大胆にも「異端説」を採用したわけだ。

しかし、この奇妙な「高コスト」論に対する批判は、この閣議決定以後も続いた。たとえば山家悠紀夫氏(第一勧業総合研究所専務理事・当時)は、「高コスト」論と「産業空洞化」論を激しく批判している。(「偽りの危機 本物の危機」97年10月)

興味深いのは、山家氏が吉冨氏のような「通説」ではなく、リチャード・クー氏や香西氏のように「異端説」を採りながら、「高コスト」説は間違っていると結論づけたことだ。

山家氏は、為替レートは「経済収支の動き、とりわけモノの動きを反映して決まる」という。円高・円安は経常収支、つまり貿易の黒字・赤字によって決まる、というのだから、クー氏や香西氏と同様である。しかし、そこから導く結論はまったく異なる。

「『高コスト危機説』が『内外価格差』論議と同じ論拠にたっているということは、『内外価格差』論議と同様に間違っている」というのである。

そもそも内外価格差とは何か。
貿易財で決まる為替レートにより非貿易財を計れば他の国より高く見える。日本は海外に輸出する貿易財産業は生産性を高めたが、国内だけで消費する非貿易財産業はそれほど生産性を高めてこなかったからだ。

しかし、日本の非貿易財が日本の貿易財に比べ、生産性が低いからといって、日本経済が「高コスト」だということにはならない。

なぜなら、貿易財を製造する際には輸送や通信などの国内の非貿易財(およびサービス)が使われている。円高を招く日本の貿易財の強さは、こうした高いはずの非貿易財の諸コストを織り込んだ上での結果だからである。

「正しい論理はこうである。日本の貿易財産業は生産性が高い。その高い生産性を反映して為替が円高になる。‥‥仮に何らかの努力により、非貿易財産業の生産性が上昇し、その価格が下がったらどうなるか。貿易財産業のコストは下がるから貿易財価格の引き下げが可能となる。‥‥これは日本の貿易収支なり経常収支なりの黒字を増加させることになって新たな円高が進む要因となる。‥‥『高コスト危機説』は、‥‥論理上も破綻している」


日本は「高価格国」なのだろうか (P.131)
(要旨)
もともと、リチャード・クー氏の「悪い円高」論も、香西氏、中谷氏の「内外価格差」論および「高コスト」論も、日米構造協議によって日本の「構造」が批判されて以後に隆盛を見た議論だった。そして同じく「通説」を無視するか、批判的な立場をあえて採用することで、もっともらしい議論を展開した。

ここには90年代のバブル崩壊以後における日本経済の衰退を、アメリカ側の政治的な意図に沿う形で説明する、倒錯した姿勢が見られる。バブル崩壊によって生じた日本経済の後退を、それ以前からの「構造」のせいにする奇妙な議論だったのである。

しかし、日本経済は「構造」がおかしいから「高コスト」であるという曖昧模糊とした主張は、最近のデフレ論においても跳梁跋扈することになった。日銀などが主唱した、いわゆる「良いデフレ」論である。技術革新が進むことによってハイテク製品が安くなる。また、安い輸入製品が入ってくることで、日本の内外価格差が解消するきっかけとなり、高コスト経済が是正される。これは「良いこと」ではないか、というわけだ。

中谷氏の「内外価格差の克服」も同じ議論である。野口悠紀雄氏(東京大学名誉教授)も「良いデフレ」論を唱えている。(週刊ダイヤモンド、2001年10月20日号)

しかし、パソコンなどのハイテク製品の急速な低価格化はアジアでも中国でもほぼ同じ速度で起こっているため、「内外価格差」の解消には関係ない。
またアジア、中国の安い製品が輸入され、日本国内の同製品の価格を下落させたところで、物価全体に与える影響は必ずしも大きくなく、また同じ効果はアメリカやヨーロッパの国々にも及ぶのだから、日本だけがこの効果を利用して「以上な高価格」から「標準的な物価体系」の国に転換できるわけがない。

日本=内外価格差が大きい国、日本経済=高コスト問題を抱えた経済、したがって日本は構造改革によって、これらの問題を解消すべきだという思い込みは、90年代を通じて日本経済論を混乱させ、名のあるエコノミストたちの議論に忍び込み、いまも経済論議を混乱させている。


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